台風19号
あの踏切を渡れば事態は急変します。
この道を曲がれば景色は一変します。
台風が通過した直後の12日23時頃、下沼部にお住まいの方から
「冠水してるから見に来て。」
とのお声かけがあり、すぐに現地へ。自転車をこいで下沼部へ向かう道すがら、苅宿は強風で飛ばされたモノが散見されるものの、特に浸水、冠水被害はなく、中原区側の多摩川も氾濫したという情報は入ってきていません。御幸踏切、南武線の踏切を渡り、向河原駅方面へ左折した瞬間…
山王町1丁目ではボートが出て救出活動が始まっているとの連絡も入り、中丸子から下沼部、山王町へ向かうどの道も冠水、南武沿線道路を封鎖していた警察官からは「水が増えてきているので下がって」との注意も受け、自転車を引き返し横須賀線小杉駅から迂回して入り込もうとしたところ…
小杉まで…連絡を頂いた方の無事を電話で確認し、実は多摩川が氾濫したのかと恐る恐るガス橋へ
ギリギリのところで決壊はしていません。帰り際、指示が出るまで待機されていた消防団の方々の話によると、冠水は胸の高さまで来たというお話。台風の去った夜の静けさの中をサイレンだけが鳴り響く、いつもはすぐの隣町なのに、行きたくても行けない、近くて遠い下沼部、山王町地域…
翌朝。
あちこちに泥が廻り、住民の方総出で泥かき、浸水されたお宅を見せて頂くと
水浸し…1階の家電、冷蔵庫の食材は全滅、室外機が浸水した為エアコンはつけられず、車はダッシュボードまで、畳、タンスの衣類も、あるクリーニング屋さんは機械が全て泥まみれ。この先どうすればいいのか、何から手を付ければいいのか、生活がめちゃくちゃ、一体何しに来たんだ?とお叱りを受けることも。やれることといったら、要望を聞き、罹災証明証の詳細を渡し、泥かきを手伝うことぐらい。
そして無情に道端へ積み上げられていく災害ゴミ。
これが被災地…
15日からは中原区役所の4階で罹災証明書の申請手続きが始まり、多くの方が申請にお昼前には約50分待ちの状況も大きな混乱もなく。その足で庁舎に行き、この時点での浸水原因を上下水道局から聞き取り。
「なぜ多摩川は氾濫していないのに、ここまでの浸水被害になってしまったのか?」
「あくまでも調査段階だが、多摩川の水位が増し、2年前の台風21号を2m上回る最高水位を記録、それにより逆流し多摩川の水が流れ込んでしまった」
というのが現状の見解。川崎市の浸水実績図によると2年前の台風21号でもこの地域は浸水。実はその台風21号が来る前に、この地域の排水能力を1時間雨量52mmから58mmに上げる為、新たな雨水幹線を設ける工事が終わったばかり。それでもすぐに台風21号で浸水が発生、今年、新たな対策も設計段階に入っていた。しかしその対策を講じていたとしても、今回の台風の雨量では同様の水害が防げた確証はないとのこと。
山王町は「雨が三粒ふれば長靴の心配」といわれていたほど水害に悩まされていた場所。昭和39年に住民の方々の要求が実現し、多摩川の堤防を貫通する下水幹線が実現。長年に渡り水害と隣合わせだった地域の為、ご自身の町の排水設備、能力に詳しい方が多くいらっしゃいます。
「なぜ設置されている逆流防止ゲートは閉められなかったのか?」
地域を回っていると、実は9月の台風15号でも玄関ギリギリまで浸水して来たというお話もお聞きしています。引き続きしっかりとした原因究明、住民の皆様への説明、並びに再発防止に向けた取り組みを求めていきます。
そして、今はなにより
「私の家、基礎が歪んでしまったらしく、全壊になりました」
「ペットと一緒に入れる市営住宅がない」
「これから寒くなるし年内には修繕したいけど、大工さんがいない」
「修繕の間、優先的に公営住宅を提供して欲しい」
「他区の市営住宅に決まったけど、駐車場代の負担が大きい」
「もし10年に一度だったとしても、これだけの水害が起きるならここには今後住めない」
17日に廻っただけで、まだまだ多くの切実な声が聞こえてきます。今は復興へ向けた取組が最優先です。
16日からボランティアの受付も開始され、
http://www.city.kawasaki.jp/350/page/0000033273.html
「あっという間に片付けてくれて本当に助かった」
というボランティアの方々への感謝の声も聞こえ、
山王町2丁目町会では区に要望して、臨時で水害冊子、消毒液、罹災証明書申請用紙などを配布し、
18日からは災害ゴミを等々力緑地へ一度回収する方針に決まり、順次収集予定とのこと。
少しづつ、少しづつですが、住民、行政、ボランティア、町会、消防団等、沢山の方々が協力して復興に向け動きはじめています。
「私は復興事業の第一は、人間の復興でなければならぬと主張する。人間の復興とは大災によって破壊せられた生存の機会の復興を意味する。生存の機会の復興は生活、営業及び労働機会の復興を意味する」
福田徳三著「復興経済の原理及若干問題」1924年
引き続き。