日本共産党
川崎市議会議員(中原区)

市古次郎

プロフィール

profile

1977年生まれ、中原区育ち。平間小学校、平間中学校、県立住吉高校卒業。東急自動車整備士専門学校卒、中央大学法学部通信課程で学ぶ。大手自動車会社で自動車整備士、サービス課長として20年勤務。2019年市議会選挙で初当選。市議会まちづくり委員会(まちづくり局、建設緑政局)委員長、総務委員会(総務企画局、財政局、経済労働局、臨海部国際戦略本部、危機管理本部など)委員を歴任。家族は妻、1男1女。中原区苅宿在住。

大きく生まれ、大きく育つ

母と兄と
1 母と兄と

川崎協同病院で生まれ、生まれたときの体重は4270グラム、大きな赤ちゃんでした。病気もせず、そのまま大きくなり、保育園時代、ゴレンジャーごっこが大好き、いつもキ(黄色)レンジャーで飛び回っていました。(1 母と兄と)

平間小学校へ入学。1年生から「わんぱく少年団」で兄とともに、和太鼓を習い、22歳まで続けました。(2)

2

3年生のとき、母が市会議員候補になり、町中に貼ってあったポスターを「あそこにも、あそこにもお母さんがいる」と自転車で追いかけました。

野球大好き、少年時代

3 中央、座りこんでいるのが私
3 中央、座りこんでいるのが私

4年生のとき、子ども会「青空野球部」に入り、6年生では4番で主将に。からだもスマートになりました。平間中学でも野球部に。この頃の夢はプロ野球選手でした。県立住吉高校に入学。1年は野球部、2年からラグビー部で活動しました。(3 中央、座りこんでいるのが私)

高校卒業後、車が好きで自動車整備士専門学校へ。卒業後は、自動車メーカー販売会社へ入社、20年勤めました。

母の姿に共感し、日本共産党に入党

日本共産党のことを教えてくれたのは、高校時代の友人でした。20歳のとき民青同盟に加盟。母親の日本共産党市会議員として活動する姿、どんなときでもぶれない政策、住民に寄り添う姿に共感し、22歳のとき入党。

演劇活動を通じて社会を知る

4 劇団公演の時。左端が私
4 劇団公演の時。左端が私

19歳の時、フリースクールを題材にした、京浜協同劇団の舞台「旅・自分を探しに」に出演し、芝居の魅力に取りつかれ、25歳の頃、京浜協同劇団から派生した演劇集団「ラニョミリ」に入団。仕事をしながら演劇活動を続けました。
宗教、慰安婦問題、女性天皇をテーマに書いた脚本が採用され、脚本を書くために資料集めをしているなかで、様々な社会問題を知り、その後は中央大学法学部通信課程で法学を学びました。(4 劇団公演の時。左端が私)

2児の父として

長女8歳の似顔絵
長男11歳の似顔絵

28歳で高校の同級生と結婚。二人の子どもがおります。

特にこの数年、成果を追いかける反面、家族とゆっくり過ごす時間もほとんどない、多くの同世代が同じような働き方をしているのではないでしょうか。このような働き方、社会を変えたい。そして、懸命に働く現役世代、子育て世代の目線で、地域に役立つ仕事がしたいと思います。

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